こどもの頃から、父の仕事の関係でアメリカやイギリスで暮らしていました。
12歳のころに帰国をして中学生以降はずっと国内で暮らしているものの、私の母国語は日本語というよりも英語が中心となっていたものです。
もっとイングリッシュを話していたいと思い、高校からインターナショナルスクールに進学をしました。
また大学は大阪の外国語大学に進み、いままで以上に英会話を駆使できる環境になったわけです。
そしてオーストラリアに留学をしつつ、現地で暮らすことも考えるにいたりました。
就職はメルボルンの貿易会社にして、日本とオーストラリアの架け橋になろうと思った青春を過ごしました。
幸いにも就職をした企業が日系であったことから、定期的に日本に帰国をしており両親とも交流を持てていたわけです。
25歳のときに夫と結婚をしたのですが、大阪府豊中市で暮らすことになり、完全に日本国籍で生活をしています。
当初は専業主婦で子育てにも奮闘をしていたものの、子どもが小学生になったときに英語を教えてほしいと子どもにいわれました。
私自身も以前のように日常的にイングリッシュを話していたいとも思いながら、何かいい教育方法がないかと模索をしていたのです。
そこで思いついたのが英会話教室を開講しようというものでした。